セリエAとは?

セリエAは、イタリアのプロサッカー1部リーグ。20クラブで構成され、各チームはホーム&アウェイ方式の総当たり戦(計38試合)を戦います。
勝ち点は勝利=3、引き分け=1、敗北=0です。
シーズン終了時には、上位4チームがUEFAチャンピオンズリーグ(CL)出場権を獲得し、リーグの下位3チームはセリエB(2部リーグ)へ降格します。
セリエAにはユヴェントス、ACミラン、インテルといった世界的な名門クラブが存在し、これまで数多くのスター選手がプレーしてきました。
セリエAは全てのサッカー選手が憧れたプロサッカーリーグ
セリエAは、世界トップクラスのリーグとして、世界5大リーグに名を挙げられています。
かつて世界中のサッカー選手がセリエAでのプレーを夢見ていた、といっても過言ではないでしょう。
現在はかつてほどの勢いは薄れていますが、セリエAは世界のトップリーグであることに変わりありません。
セリエAが5大リーグに挙げられる理由は、以下4つにあります。
- 歴史と名門クラブの存在
- 戦術的なプレースタイル
- スーパースター選手たちの存在
- 熱狂的なファン文化
歴史と名門クラブの存在
セリエAは1898年創設の、長い歴史を持つサッカーリーグ。
数多くの名門クラブが存在し、特にユベントス、ACミラン、インテルなどは世界的に有名です。
これらのクラブはコッパ・イタリアやUEFAチャンピオンズリーグなど数々のタイトルを獲得しており、サッカーの歴史に名を刻んでいます。
戦術的なプレースタイル
セリエAは、戦術的なプレースタイルが特徴。攻守のバランスが取れた試合展開が多く、特に守備の堅実さが際立っています。
試合はしばしば1-0のスコアで決まることが多く、試合観戦では緊張感のある展開が楽しめるでしょう。
このような戦術的な駆け引きで、サッカーの本質を感じさせてくれるのが、セリエAです。
スーパースター選手たちの存在
セリエAには、クリスティアーノ・ロナウドやジャンルイジ・ブッフォンなど、サッカーに興味がない人でも耳にしたことがあるような、世界的なスーパースター選手が多数在籍しています。
彼らのプレーを間近で観ることができるのも、セリエAの大きな魅力といえるでしょう。
熱狂的なファン文化
セリエAの試合は、熱狂的なサポーターの盛り上がりも有名です。
スタジアムは常に熱気に包まれ、サポーターたちの応援は試合の雰囲気を一層高めています。
特にミラノダービーやローマダービーなどの大一番では、サポーターの情熱が試合を特別なものにする演出の一端を担っているといってもいいでしょう。
セリエAでプレーする日本人選手【2024-2025】

2024-2025シーズン、セリエAでプレーする日本人は鈴木彩艶選手のみです。
鈴木選手の経歴やセリエAでの成績を解説します。
鈴木彩艶|パルマ
鈴木彩艶は、パルマ所属のゴールキーパーです。
日本代表でもプレーしており、反射神経とセービング能力の高さが評価されています。
小学校時代から浦和レッズのアカデミーに所属し、2019年に16歳5ヶ月11日でプロ契約を結びます。
2021シーズンにリーグ戦に初出場し、ゴールキーパーとしては史上2人目となるニューヒーロー賞を受賞しました。
その後、ベルギー1部のシント=トロイデンVVを経て、2024年7月15日、セリエAのパルマ・カルチョ1913に完全移籍しました。
セリエAでゴールキーパーとしてプレーする日本人は鈴木選手が初です。
日本代表としても活躍する鈴木選手は、若き守護神として国内外のサッカーファンから注目されています。
かつてセリエAでプレーした歴代日本人選手

これまで多くの日本人選手が憧れ、挑戦してきたセリエA。
つづいては、セリエAでプレーした歴代日本人選手を紹介します。
三浦知良
「カズ」の相性で親しまれる三浦知良選手は、日本人として初めてセリエAでプレーした選手です。
三浦選手は高校を中退後ブラジルに単身で渡航し、CAジュベントスに所属しました。
その後もブラジルのクラブを渡り歩き、1994-95シーズンよりジェノアCFCへ期限付移籍しました。
セリエAでは21試合に出場し、1ゴールを記録しています。
中田英寿
中田英寿選手は、セリエAで最も成功した日本人選手の1人です。
中田選手は、ベルマーレ平塚を経て1998年にペルージャへ移籍しました。
その後もASローマ、パルマ、フィオレンティーナなど複数のクラブでプレーしました。
ローマ時代にはスクデット(リーグ優勝)を経験し、日本人選手として初めてセリエA優勝メンバーとなりました。
名波浩
名波浩選手はジュビロ磐田で活躍後、1999年にACヴェネツィアへ移籍しました。
中盤の選手としてプレーメーカーの役割を担いましたが、出場機会には恵まれず、リーグ戦では1ゴールに留まりました。
その年、クラブはセリエBに降格。
中村俊輔
精度の高いフリーキックが持ち味で、日本が誇るファンタジスタと評された中村俊輔選手。
横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)を経て、2002年にレッジーナに移籍しました。
レッジーナではレギュラーを確保し、7得点を記録しています。
セリエAでのプレー経験が、その後のセルティックや日本代表での活躍にもつながりました。
柳沢敦
柳沢敦選手は鹿島アントラーズを経て、2003年にサンプドリアに期限付きで移籍しました。
リーグ戦15試合に出場するも無得点に終わり、翌年メッシーナへと移籍します。
コッパ・イタリアの1回戦で1ゴール1アシストの活躍を見せ、大きな注目を集めます。
しかし、その後は思ったような活躍を見せられず、2006年に古巣の鹿島アントラーズへと復帰しました。
小笠原満男
小笠原満男選手は、鹿島アントラーズや日本代表での活躍が評価され、2006年にFCメッシーナへと期限付きで移籍しました。
エンポリ戦でセリエA初ゴールを決めたものの、以降はなかなか出場機会に恵まれないまま退団します。
その後は鹿島アントラーズに復帰し、2018年に引退するまで長らくチームを牽引しました。
大黒将志
ガンバ大阪時代の2004年には日本人選手最多となる20得点を挙げ、Jリーグベストイレブンに選出された大黒将志選手。
Jリーグや日本代表での活躍が評価され、2006年8月31日にトリノに完全移籍しました。
しかし、出場機会に恵まれず、得点を記録することはできませんでした。
森本貴幸
15歳でJ1リーグ初得点を決め、J1史上最年少得点の記録保持者となった森本貴幸選手。
2006年に18歳でカターニャへレンタル移籍し、出場・ゴールともにセリエA日本人最年少記録を更新しました。
その後も活躍をつづけ、チームの勝利に貢献しました。
セリエAで一定の成功を収めた数少ない日本人選手の一人といえるでしょう。
2011年にノヴァーラに移籍しますが、怪我の影響もあり出場機会には恵まれませんでした。
長友佑都
長友佑都選手はFC東京を経て、2010年7月にチェゼーナへ期限付き移籍しました。
翌年6月にインテルへと完全移籍し、7年間に渡りセリエAでプレーしました。
通算186試合に出場し9ゴールを決め、2025年3月時点でセリエA日本人最多出場記録を保持しています。
本田圭佑
本田圭佑選手は、名古屋グランパスエイトやCSKAモスクワなどを経て、2014年1月に名門ミランに移籍しました。
10番を背負いながら厳しい評価を受けることもありましたが、印象的なゴールを記録するなど一定の成果を残しました。
冨安健洋
冨安健洋選手は、アビスパ福岡やシント=トロイデンVVを経て、2019年7月にボローニャへと完全移籍しました。
セリエAでは61試合に出場し、3ゴールを記録。
セリエAでの活躍が評価され、2021年にプレミアリーグのアーセナルへと移籍しました。
吉田麻也
吉田麻也選手は名古屋グランパスで活躍後、VVVフェンローやサウサンプトンでプレーしました。
2020年1月にサンプドリアにレンタル移籍、同年8月に完全移籍し、ディフェンダーとして安定したプレーを見せました。
2022年夏に契約満了で退団するまで、通算72試合に出場し3ゴールを記録しています。
鎌田大地
鎌田大地選手は名古屋グランパスやフランクフルトを経て、2023年8月にラツィオへフリー移籍しました。
移籍直後は活躍を見せますが、マウリツィオ・サッリ監督の方針により出場機会が減少します。
2024年3月に監督が交代すると、鎌田選手はチームの中心選手として起用され続けました。
2023-24シーズン、リーグ戦で28試合2ゴール2アシストを記録しています。
セリエAで活躍する日本人選手を応援しよう
セリエAでプレーした日本人選手は数多く、彼らの経験は日本サッカーの発展に大きく貢献しました。
2024-2025、セリエAでプレーする日本人選手は鈴木彩艶のみです。
全盛期ほどの勢いはなくなったセリエAですが、世界トップクラスのリーグであることは間違いありません。
今後も新たにセリエAに挑戦する日本人選手は出てくるでしょう。